市場とは何か
市場とは、単なる営利活動の場ではない。それは分散した知識を利用する制度である。
- 知識は中央には存在しない
- 個々人の頭の中に分散している
- 価格はその知識を調整する信号である
という命題である。市場とは価格を通じた分権的調整メカニズムであり、政府が設計する秩序ではなく、自発的契約の積み重ねによって生じる秩序である。
この観点から問うべきはオープンソースは中央計画か、それとも分権的秩序かである。
中央計画ではないという意味
オープンソースは国家による強制ではない。参加は任意であり、退出も自由である。この一点だけでも決定的である。
自由とは強制の不在である。強制がないならば、その秩序は原理的に市場秩序と整合的である。
重要なのは、オープンソースは命令体系ではなく、契約体系である点である。
ライセンスは
- 利用条件を明示し
- 権利と義務を定め
- 自発的な合意の下で受け入れられる
これは価格理論的に見れば、通常の商業契約と同じ構造を持つ。問題は価格がゼロであることではない。問題は交換が自発的かどうかである。
無償は非市場的か?
多くの議論はここで止まる。無償提供だから市場ではないと。しかし価格理論の基本命題は人は自分の効用を最大化しようと行動するという点である。 効用とは金銭だけではない。それは満足、評判、学習機会、将来の所得可能性、理念への共感などを含む。
もし開発者が
- 技術的熟達を得る
- 評判を獲得する
- 将来の雇用機会を高める
- 自ら使うソフトウェアを改善する
といった便益を得るならば、金銭価格がゼロであっても、その行動は合理的である。価格がゼロであることは、価値がゼロであることを意味しない。価格とは交換比率であって、主観的価値ではない。価格が存在しない場合でも、機会費用は存在する。
開発者は時間を費やしている。その時間は他の活動にも使えたはずである。したがってそこにはコストが存在する。にもかかわらず参加するということは、主観的便益がその機会費用を上回っているということである。この構造は通常の市場行動と何も変わらない。
公共財問題は失敗なのか?
ソフトウェアは
- 複製コストが極めて低い(非競合的)
- 排除が技術的に困難である場合がある(非排除的)
このため公共財と分類されやすい。標準的教科書はここで「市場失敗」と結論づける。しかし重要なのは理論的分類ではなく、 実際に自発的供給が起きているかどうかである。
オープンソースは経験的事実として存在している。
- 自発的供給がある
- 企業がスポンサーとして参加する
- 利潤動機と非金銭的動機が共存している
これは何を意味するか。市場は、制度環境が与えられれば、公共財的性質を持つ財に対しても供給メカニズムを生み出す、ということである。市場は静学的な均衡点ではない。それは制度的革新を通じて適応する過程である。
企業との共存:反資本主義ではない理由
オープンソースが資本主義と対立するという理解は、価格理論の理解不足に基づく。
企業は
- サポート契約で収益化する
- クラウド環境で収益化する
- デュアルライセンスで収益化する
つまり、所有権の構造に応じて収益モデルが変化しているだけである。ここで重要なのは市場は制度に適応するという点である。価格理論の観点から見れば、企業とは
- 取引コストを内部化する装置
- 契約の束を調整する組織
にすぎない。オープンソースは企業の否定ではない。企業の境界を再定義しているにすぎない。
分散知識の活用という核心
オープンソースは、世界中の分散した開発者の知識を動員する。中央計画では不可能な
- バグ発見
- 改良提案
- 用途拡張
が自発的に行われる。これは価格がなくてもシグナルが存在することを意味する。
- バグ報告
- フォーク
- コミット
- 評判
これらは価格に代わる調整信号として機能している。市場の本質は金銭ではなく情報の調整であるならば、オープンソースはその特殊形態と解釈できる。
政府介入は必要か?
公共財だから政府が供給すべきだ、という推論は飛躍である。
- 実際に自発的供給は存在するか
- 政府供給はより効率的か
- 政府は適切な情報を持ち得るか
分散知識の問題を考えれば、中央集権的供給は情報劣位に立つ。オープンソースの存在は、少なくとも一部の公共財において自発的秩序が機能し得ることの実証例である。
結論:価格がゼロでも市場は機能する
オープンソースとは
- 自由な契約に基づく制度的革新
- 分散知識を活用する分権的秩序
- 市場の適応能力の証明
である。それは市場の否定ではない。むしろ市場理論の射程を拡張する事例である。市場の本質は
- 自発性
- 契約
- 分散知識の活用
- 競争的選択
にある。価格がゼロであっても、利潤が直接的でなくても、動機が多元的であっても、人々が自由に選択し、退出できるならば、それは市場秩序の一形態である。
オープンソースは例外ではない。それは市場が制度環境に応じて進化した結果である。そしてそれこそが、市場は適応的であるという主張の、現代的な実例なのである。
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