人間の行動は、目的を持つ主体が制約条件のもとで合理的選択を行うという仮定によって理解できる。この枠組みを政治制度や情報統制に適用するなら、検閲当局もまた同様にインセンティブ構造に従う合理的主体として分析できる。
したがって問題は次のように定式化できる。
- 検閲当局の目的関数は何か。
- どの情報を抑圧することが最も高い政治的収益を生むのか。
ここで重要なのは、検閲はコストのかかる行為であるという点である。監視、分類、削除、処罰、制度運用、すべて資源を消費する。ゆえに合理的な検閲当局は、最大の政治的便益をもたらす対象にのみ検閲資源を投入する。
この単純な価格理論的発想から、次の結論が導かれる: どうでもいいフェイクを検閲するインセンティブは存在しない。
情報市場における限界便益
情報統制を政治市場における行動として考えると、検閲対象の選択は限界便益と限界費用の比較として理解できる。
情報には三種類ある。
- 無害な情報
- どうでもいいフェイク
- 権力に不都合な真実
それぞれの検閲による政治的便益を比較すると、次のような順序が成立する。
政治的利益: 不都合な真実 > フェイク > 無害情報
しかしここで重要な点がある。どうでもいいフェイクは、放置しても嘘とバレるため、政治的コストをあまり生まない。つまり、
- 放置しても損失なし
- 検閲しても利益なし
- しかし検閲コストは存在する
したがって合理的な検閲当局は、どうでもいいフェイクを検閲しない。この結論は、単純な費用便益分析から直ちに導かれる。
不都合な真実の政治的外部性
ではなぜ不都合な真実には強い検閲インセンティブが存在するのか。理由は明確である。真実は政治的外部性を生む。例えば次のような情報である。
- 政府の失敗
- 不正
- 政策の矛盾
- 経済の悪化
- 統計操作
これらの情報は、政治市場において次の効果を持つ。
- 支持率低下
- 政策信頼性の毀損
- 政権交代確率の上昇
つまり、真実は権力の価値を下げる情報ショックなのである。これは政治資本の減価償却を引き起こす情報である。したがって検閲当局の合理的行動は、政治的損失を生む情報を抑圧することに集中する。
合理的無知とフェイクの放置
政治経済学にはもう一つ重要な概念がある。合理的無知である。これは人々が情報収集の費用と利益を比較して無知を選ぶという現象である。政治情報は典型的にこの条件を満たす。一票が政治結果に与える影響は極めて小さいため、多くの市民は政治情報に対して十分な調査を行わない。この状況では、
- フェイクは自然に流通する
- しかし政治結果には大きく影響しない
つまりフェイクは市場において自然淘汰されるノイズである。この場合、検閲当局が介入する必要はない。なぜなら市場自体がノイズを処理するからである。
シグナリングとしての検閲
では、なぜ現実にはフェイク対策という名目の検閲が存在するのか。ここでシグナリング理論が役に立つ。検閲制度には二つの機能がある。
- 表向きの機能: フェイク対策
- 実際の機能: 不都合な真実の抑圧
つまりフェイク規制はしばしば制度的カバーとして機能する。これには政治的利点がある。
もし政府が「真実を消します」と言えば、政治的コストは極めて高い。しかし「フェイクを防ぎます」と言えば、規制は正当化される。この構造は規制捕獲(regulatory capture)に近い。
制度の表向きの目的と実際の効果が乖離するのである。
検閲の政治市場均衡
情報統制は次の均衡に収束する。
- 放置される情報: 無害情報, どうでもいいフェイク
- 集中的に検閲される情報: 政治的に不都合な真実
これは陰謀論ではなく、単にインセンティブがそうなるというだけである。制度分析は常にこの形になる。人は善意で制度を作るが、制度はインセンティブに従って機能する。
結論
以上の議論から結論は明確である。市場が対処してくれるような、どうでもいいフェイクを検閲する合理的インセンティブは検閲当局には存在しない。検閲当局が資源を投入する対象は、常に次の条件を満たす情報である。
- 政治的損失を生む
- 権力を弱める
- 支持を減らす
すなわち不都合な真実である。したがってフェイク検閲という言説はしばしば誤解を生む。検閲の政治経済学を理解するためには、次の単純な命題を思い出せばよい: 検閲は真実を守るためではなく、権力を守るために存在する。
そしてその行動は、道徳ではなくインセンティブによって決まるのである。
課題
基本的論点は示したが、まだ示されていない課題は以下である。
- 官僚組織の自己増殖インセンティブ。
- アルゴリズム型プラットフォームが検閲主体になった場合の利益構造。
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